2025年6月30日(月曜日)
ストラヴィンスキー(1882年6月17日生)は
近代ロシアの作曲家で、
バレエに前衛的な音楽をつけたことで知られます🔥🩰
ストラヴィンスキーの父は、
当時ロシアの第一線で活躍したバス歌手で、
帝立歌劇場の第一歌手を務めていました。
また母も音楽の素養があったそうで、
「譜読みの速さは母譲り」と語っています🎶
9歳からピアノを学び、
頻繁に演奏会を聴きに行っていたストラヴィンスキーですが、
実は両親は息子に音楽の道に進んでほしくないと思っており、
レッスンはあくまで趣味として受け、
家の練習室も子供部屋から遠く離して作られました🏠🎹
気難しい性格が災いし友人ができず、
暗い中高時代だったストラヴィンスキーの唯一の慰めは、
演奏会で音楽に触れることでした🎼
「役人になってほしい」という両親の希望で
サンクトペテルブルク大学法学部に進学したのちも、
相変わらず暗い学生生活を送っていたところ…
なんと同級生の1人に、
の末息子がいたことで、
ついにリムスキー本人から
作曲の個人レッスンを受けるようになります!
もう一つの転機となったのは
バレエリュス(通称:ロシア・バレエ団)主催者
ディアギレフとの出会いで、
代表作はいずれもこのバレエ団のために作曲されました🎭
法学部を卒業した4年後には、
すでに『火の鳥』をパリ・オペラ座で大成功させ、
翌年には『ペトルーシュカ』もヒット🎊
そしてその2年後、『春の祭典』を初演しますが……
あまりにも前衛的な音楽だったため、
客席で大暴動が発生!😱
なんと第一部が終わる頃には
40人もの逮捕者が出るほどの騒ぎに!🚔💦
音楽がかき消され、
バレリーナたちは拍が分からなくなり、
舞台袖で振付師が叫んで指示を出す始末💥
怒って飛び出しそうな彼を、
ストラヴィンスキーが必死に服を掴んで
抑えていたという逸話も残っています👕
大波乱の初演でしたが、
最終的には何度もカーテンコールが行われ、
これを機に「革命児」としての評価が急上昇し、
ストラヴィンスキーの名は世界に轟きました🌍✨
その後、第一次世界大戦と家族の死を経て
ヨーロッパを離れ、アメリカへ移住🗽
晩年まで旺盛に作曲活動を続けました。
88歳で亡くなるまで音楽と共に生きた作曲家でした🎼
おすすめの一曲は
もとはピアノ協奏曲として構想されたため、
華やかなピアノが印象的です🎀✨
テーマも明快で、ストラヴィンスキー入門にもぴったり!
2分半ほどで聴けますので、ぜひ一度聴いてみてください🎧!